お手伝いをさせていただく西本敦子です
1968年大阪堺市生まれ京都府京田辺市在住。
夜な夜なワンレンボディコンで踊っていた時代を経て自然派ママに。
病気・離婚・父の会社も倒産の危機のどん底
24歳のときに右卵巣破裂、摘出手術を行う。その27歳で不妊治療開始。排卵誘発剤の注射を打ったり、ホルモンのお薬を飲み始める。今から思うとお薬が合わなかったのか、イライラしたり、メソメソしたり、プチ鬱状態。そんなこんなで夫婦生活が上手くいくわけもなく、離婚危機。そんな中、
左卵巣腫瘍になってしまう。
それを機に夫婦仲も戻るかとおもいきや、完全に冷めた状態で・・・。
病気でそして父の会社が倒産の危機のどん底の中、お医者に「お腹を開けて悪性ならば全摘します。」と言われ、病院から無理やり退院し、お手当(?レイキ?説明が難しいのですが)ができる鍼灸治療院の先生に助けを求める。「吐き出しながら良くなっていくよ。」「どう変わるか見ててごらん」とお話されました。意味もわからないけれど、どうしても子供が欲しかった私は無我夢中で毎日通いました。
死ぬか生きるか
ちょうど3ケ月たった頃、膣からの大量出血でシーツが血の海になりました。ああ、このまま死んでしまうのかなと思いながら、これは出してる、出してる。といい聞かせ生きる気力を奮い立たせます。
その2日後、夢だったのか、現実だったのか定かではないのですが、夜中に目が覚めて周りを見ると、キラキラ光るものに囲まれていました。ああ、死んだかも、と同時に治ったかも、と。
次の日、起きたら生きていたので病院に検査に行きました。
腫瘍が消えていました。
そこで私は自然療法と自分の治癒力で病気って治せるんだ!
それをやり通した!
と自然療法にのめり込むようになります。
結婚・出産・激やせ
お化粧品メーカーに勤めていた私はその後2004年に今の夫とお友達に連れられて行ったお見合いパーティーで出会います。パーティーのシステムがよく分からず、自分のプロフィールを正直に書きすぎてた私にたった1人だけ注意してくれた人でした。
2005年 結婚半年で妊娠。嬉しくて嬉しくて夫にありがとうといいながら泣いていました。苦しいつわりすら幸せでした。38才で長女出産。
西洋医学や薬を全否定し、色々な食事療法を自分や家族の身体を使って実験し始めます。
追い打ちをかけるように3.11の原発事故があり、42才で出産した乳飲み子を抱えて途方にくれます。
何を食べさせたらいいのかわからない。怖いものだらけ、毒だらけ。に思えたのです。
あれをせねば、これもだめ、こうあるべき、こうするべき。
ねばねばべきべき
身体にいい事しかしていないはずなのに、自分だけどんどん不健康になっていく、毎日イライラ、やせ細って、お肌もカサカサ。不安しかありませんでした。
酵素風呂に出会う
そんな時、ママ友に連れて行ってもらったのが兵庫県三木市にある酵素風呂「ぬか天国」
酵素風呂に入った瞬間
「大丈夫やよ、安心して」
とほかほかにあったかい酵素たちが話しかけてきたように感じたのです。
そうや、そうや、こうやって出したらええやんか
家族で通い出し、私のねばねばべきべきがどんどんはがれて身体だけでなくこころも元気になっていきました。